トムヤムのオッサン日記 a.k.a たなか雄一狼

トムヤムのオッサンの生き様である。

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大切な事

お元気でっか?



最近の大阪は夜になると夜風が涼しくて、もう夏が終わったような錯覚をしてまうねん。




秋の夜風みたいな感じやね。




これからやっちゅーに。







さてさて、オッサンは考える事が仕事みたいなもんやから、日々アホな事から意味の分からん事まで色々考える。






最近、自分なりの答えが見えて来た事は、人間関係(家族、仲間、エトセトラ)において


どれだけ、自分に対して”本音を語ってくれる人”がいるかという事が改めて重要やなと思う。


どんな事でもな。


前の日記に書いたけど、基本的に人間関係は”お互いの一方通行”が多かったりする。


勝手な思い込みや、エゴなども含めて。


しかも人は、自分が嫌われる事とか、面倒臭い事を相手に伝えるのを嫌う事が多くて、
まぁボチボチの感じで無難にやりすごす事が多いやん。





その上で、ワザワザ自分にモノを言うてくれる人間は大切やなと思う。


悪意とか嫌味なだけのものは、すぐに気付くし、そんなもんは気にしないけどな。



オッサンは、そのワザワザを”おせっかい”とは思わない。


相手なりに何らかの感覚で、自分との人間関係と向き合ってくれている証拠やと思う。



もちろん相手にもよるけど。


誰かれなしに、そんな話を聞きたいとは思わないけどな。笑







実際、オッサンは今年で42歳になるから、
そんなに叱られるような事は少なくなってきたというか、殆ど無い。



今でも、親に少し小言を言われる事くらいはあるけど。




友達も古い仲間が多いから、お互いにエエとこ悪いとこを知ってて、口喧嘩程度はして来た奴らやから、
今更、何かを言われる事もなかなか機会がない。




後は、年下で後輩のような感覚の人間が多いから、なかなか相手から文句を言われる事なんて無い。



その中で、自分が”ただのお山の大将”もしくは”裸の王様”にならない為に心がけている事がある。




それは、自分の実力ではなかなか立ち向かえない程の先輩や師と、
人生の中で常に一人は向き合わせてもらって、教えを乞い、求め、自分の力を試すという事。





そういう存在に運良く出逢えたんやけど、20代の師、30代の師、40代の師という存在がある。



特に習い事をして”先生”という関係ではなくて、仕事で関わらせて貰ってたりするんやけど。


まぁ、大人になれば基本的に師といっても、仕事が絡んでる事が多いのが普通やと思うけど。





その中で、自分の未熟さを”一言で斬る”って感じで、
怒るとかでなく、諭されたり、道しるべや、ヒントを示してもらったり。




それを、自分がどう受け止めるかを大切にしてるねん。




その一言に「わかってないなー」とスネる事は簡単。




正直、ムッとする時もあるし、言われた事がすぐに受け止められない時はあるよ。



それに作品なんかが絡んでたら余計にな。






でも、その相手の言葉を感じ取り、自分なりに掘り下げて考え、
自分なりのポリシーを守りながらも、相手の優れたところを理解し、
認めて取り入れるというプロセスが大切なんやと確信を持ってる。




都合よく相手の話を聞いて、自分の都合の良いように簡単に解釈しているだけでは、成長は少ないかなと。




ポジティブさの勘違いというか、無駄遣いというか。笑



そういう人も多い。





特に俺らの業界にには多い気がするなぁ。



”聞く”事を拒絶する。


”了見の狭い”ポリシーを、こだわり勘違いして執着し、可能性を狭めてるアーティストも多い。


もったいないなと思う。



特にアーティストなんか破壊と創造を繰り返すのが醍醐味やのに、
スタイルスタイルと口にする割には、本質的にコスプレみたいなんが多いな。







”変わらない良さ”みたいなもんも、当然あるで。


それは伝統工芸の職人さんに任せておけば良い。

でもその伝統的なものは、ものすごい年月を経て洗練を繰り返した果てに達したものやから、
それを俺らのストリートカルチャーと呼ぶ近年の若者文化と混同するのは、大きな勘違いで。



ほどよい山の上で、自分が何かを達成したと思い込み、大将気取りで、半端にチヤホヤされて喜んでる奴もおる。


見る人から見れば、滑稽なんやけど、それに本人は気付いてないねん。


まぁそれはそれで、本人が幸せであればそれでエエねんやろうけど、
年老いて結局は自分には何も無かったとか気付いた日には悲劇やな。笑





まだまだ”猿真似でケツが青い”という事を自覚して、本当の意味でのオリジナルを探すことが大切かなと。





作品やアーティスト的な感覚の話になったけど、それはどんな職業の人間でも学生でも根本は同じかなと。









オッサンは表現者やから、そこに自分の人間として大切にしてるものを封じ込めるのが役割。



そういう生き方を選んだ。


其処には果てしない努力と忍耐も必要。



”根性”というように、しっかり足下に根を張るみたいに長く長く自分が信じた事を続けれる”根気”も必要。





そこに対して誠意や情熱を注ぐ事が、自分にとっては重要な事なんや。


それが俺と言う人間を表すこと。


人の為ではない。




自分の回りにイエスマンを集めて、エエ気持ちになって、なんとなく人生を終えるのは嫌なんや。





だから、自分が太刀打ち出来ない相手を、何歳になっても探し求めて生きて行きたい。




そしてそう言う相手に、42歳になっても出逢えた。

でもそれは偶然ではなく、俺が探し求めたからやと信じてる。


「田中さん。まだまだ迷ってますね。」とか、何年もかけた作品で言われても、

「ありがとう御座います。精進します」と言える。


そういう真剣勝負が出来る相手を探し求める事が大切なんや。


自分の身の丈を感じ、またそれに挑む気持ちも生み、成長を繰り返し。




その感覚が、曖昧な事が多い世界で、
漠然として、なんとなくぬるま湯に溺れて気が変になりそうな自分と闘い”生きる”を感じる方法なんかなと。


それに”意味”なんか求めへんわ。


自分が感じれるかだけやな。




ただの妄想かもな。笑



でも明らかに努力は必要。






そういう上で、自分に対してモノを申してくれる人は大切にしたいなと思う。



気楽な友達も必要やけど、それだけやったら面白くないやん。笑



苦みや、コクがないと。



色々な生き方があるから、オッサンの言う事が全てではないけどな。



”選ばない生き方”もある。


それもエエかもな。





みちのり





オッサンは”選ぶ生き方”を選ぶんやと思う。





とか言うてたら今さっき、突然通りがかりのブルース歌手のお兄さんが店に入ってきて
時間にしたら5分程の間やったけど、深い話になって「また遊びに来るわ!」と笑顔で帰って行きはった。




道草やな。笑






人生、そういう事もあるな。













































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  1. 2013/06/26(水) 00:32:29|
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